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平成30年3月28日 福祉新聞
社会的養護を考える 「里親養育を目的化してはいけない」
社会福祉法人石井記念友愛社(宮崎県木城町)
児嶋草次郎・理事長
厚生労働省は、3月中にも社会的養育に関する
「都道府県推進計画」の見直し要領を出す予定だという。
案の段階では、里親委託率の数値目標を自治体に強制する表現ではない。
しかし、これまで議論の過程で児童福祉施設の存在価値が否定され続けているのを見ると、
このままでは日本の福祉文化が崩壊すると危惧している。
そもそもの発端は、厚労省が2017年8月に出した新しい社会的養育ビジョンである。
7年以内に就学前の子どもの里親委託率を75%以上にすることや、
学童期以降で施設の滞在期間を1年以内にすることなどが盛り込まれ、
最初、お上から印籠を突きつけられたような気分だった。
もともと推進計画は厚労省の強い指導で始まり、
15年かけて里親委託率を3割にする目標だった。
その厚労省が何の釈明もなく、全く次元の違うことを言い出すのは、
あまりにも無責任である。
現在、当法人は宮崎県内に、小規模も含めて児童養護施設4カ所、
乳児院1カ所、保育所10カ所のほか、高齢者や障害者支援の事業所も経営している。
そうした実践の中で母子や妊婦への支援、里親開拓の必要性も感じて、
児童家庭支援センターも開始するなど地域へのアウトリーチ機能も強化してきた。
16年の改正児童福祉法では、社会的養護の子どもへの家庭養育優先が示された。
当法人としても里親推進は賛成であり、同様の考えの法人は少なくないと思う。
当法人は、児童福祉の父と呼ばれた石井十次にルーツを持つ法人だが、
里親推進の考え方も十次の構想に合致している。
新ビジョンが悲しいのは、これまで施設が積み重ねてきた機能を間接的に否定していることだ。
子どもを守るという発想しかなく、教育的視点が抜け落ちているのである。
愛着関係だけで、子どもは成長しない。しつけも必要で、
思春期に入れば自律力、社会人になる前には志も育てなければならない。
日本の教育の真髄は、集団の力動をうまく使い、
個々の能力を最大限に引き伸ばすことである。
日本の教育文化とされる私塾や藩校をはじめ、
今の学校教育でも体育祭や部活動に一端が見えており、
施設もその文化の流れにある。
これを「集団力動に過度に依存した養育だ」とする施設否定論は、
私に言わせれば日本文化の否定である。
現場では、児童養護施設対抗で野球大会やマラソン大会などを開催しており、
そうした交流で、子どもたちが自信や自己肯定感を獲得しているのも事実だ。
ビジョンは、アメリカやイギリスなどの価値観を日本に持ち込もうとする側面が強い。
両国はいずれも里親委託率が7割を超えており、社会的養護の世界へのグローバル化の波とも言える。
しかし現実には欧米とは宗教観や労働観、生活習慣が異なる。
海外の研究者によると、イギリスでは、施設が国の政策に加担して植民地へ子どもを送っていた歴史や、
カトリックなどの施設での性的虐待が問題になった。こうした経緯から施設否定が進んだという。
もともと施設には措置権もなければ、子どもを選ぶ権利もない。
こうした日本の社会的養育の現状を批判することは、
措置権を持つ全国の児童相談所が仕事を怠け、
里親団体も十分に機能していなかったという意味になる。
これでは、あまりにも社会的養育の現場で働いてきた人を軽く見過ぎである。
現場には発達障害や愛着障害があり、感情のコントロールが難しく、
時にはパニックで器物破損をする子どもがいる。親から虐待を受けて人間不信が強く、
思春期の衝動的欲望を乗り切れない子どももいる。
そんな子どもにチームプレーで24時間向き合うのが施設の現場である。
にもかかわらず、働く人の待遇は決して十分なものではない。
里親委託の推進は、いわば社会的養育の比重を法人から個人へ進めるということでもある。
密室での支援となる里親への支援体制は不可欠だが、社会的養護の歴史を振り返ってみても、
今後、数年で簡単にできるわけがない。
新ビジョンの数字合わせのために、里親の「粗製乱造」が増えれば、
子どもや里親にとって不幸な結果になるのは確実だ。
社会的養育の目的は、あくまでも家庭復帰や親子関係の再構築のはずである。
それが難しければ、世のために生きる志の高い人間を育てるという次の使命に向かって努力する。
つまり、里親養育と施設養育はともに、目的のための手段にすぎない。
にもかかわらず、現場への無知やグローバル化という思想、
財政負担などを背景として、里親養育という手段が目的化していないだろうか。
現場としては、厚労省が現実的な路線に軌道修正すると信じている。
日本の福祉文化に根ざした社会的養育にしてほしい。